和多志が開院した理由

人生初めての挫折

小学生の頃から体育の授業や体を動かす事が好きで、
学校が終ると公園が暗くなるまで、野球やサッカー
をしていたのを覚えています。バスケットゴール

 

中学、高校とバスケットをし、スポーツが好きだった私は、 スポーツに携わる仕事に就きたいという思いから、体育教師になりたいという夢を持っておりました。

 

今、振り返ると勉強や努力も足りなかった当然の結果で、
体育大学受験も失敗に終わり人生初めての挫折を味わいました。

 

和多志は人のために何が出来るのだろうか?

やはりスポーツに携わる仕事に就きたく、体育専門学校で勉強し、
一度は体育関連企業に入社するも、将来性の不安と人間関係で挫折。

その後、一般企業に就職しましたが、

 

「本当にこの仕事がしたいのか、このままでいいのか?」
「もっと人のためになる仕事、喜んでもらえる仕事がしたい」

と考えるようになり、会社を退社しました。
次の仕事や目標が無いまま、会社を辞めてしまった和多志は


「和多志は人のために何が出来るのだろうか?」
「和多志はどんな仕事が向いているのだろうか?」

と考える日々が続きました。

 

今はもう亡くなった祖母からの言葉

そんな時、知り合いの整体師に治療業界の話を伺う機会があり、
治療家というものを意識しはじめるきっかけとなりました。

 

また、今はもう亡くなった祖母からの言葉、
『あなたは氣持が優しい子、人を助ける仕事をしなさい』柔道整復師 国家資格

 

と子供の頃、良く言われていたのを思い出し、何かの縁を感じ 、柔道整復師・はり師・きゅう師という国家資格を志しました。

 

勉強と仕事に追われる日々

27歳で北海道ハイテクノロジー専門学校の、柔道整復師学科、
鍼灸学科に入学、6年間朝から深夜まで、勉強と仕事に追わ
れる 日々を送ってきました。足関節模型

 

在学中に勤務した、鍼灸マッサージセンターとスポーツ整復院で、 治療技術や患者様に喜んで頂く喜びを知り、卒業後は病院で リハビリテーションや機能訓練を、4年間学ばせて頂きました。

 

地域の皆様や多くの人に支えられて

柔道整復師・はり師・きゅう師の国家資格を志してから丸8年、


『家族や友人、多くの人に支えられ』

平成21年9月、清流札内川に程近い閑静な住宅街、せせらぎはりきゅう整骨院
せせらぎニュータウンにせせらぎはり・きゅう整骨院を開院することができました。

 

『地域の皆様や多くの人に支えられ』

せせらぎはり・きゅう整骨院も16年目を迎えることが出来ました。

 

『ただただ感謝の氣持ちでいっぱいです』

 

患者様とのご縁を大切に

「少しでも人のために」

と治療家の道を志した和多志の原点を忘れず、 日々精進し

『患者様とのご縁を大切に、少しでも多くの
患者様の健康回復のお手伝いが出来ればと、心から思っております』

 

せせらぎはり・きゅう整骨院  院長 三上 真

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